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社長ブログ

2021.11.10

人気ブロガーへの道

前回の宣言どおり、11月中に更新できました!
『無理に決まっている!』と思っていた人が多いと思いますが、周りの予想に反してこういう結果を出すのは、実に気分がいいですね(笑)
何とかこのペースを維持し、人気ブロガーとは言わないまでも二流ブロガーくらいを目指して精進いたします。
今回も前回に引き続き、私の若かりし頃の仕事と会社の変革期についてです。

 

当時の仕事Ⅱ

年末の繁忙期が終わり1月になると、今度は極端に暇になります。時間を持て余して一日何をしようかと、その日の仕事を見つけなければならないような状況でした。倉庫の片づけ、残った在庫の整理、印刷機械の整備、雪が降れば雪かき、合間にお茶を飲んで雑談したり1月~2月は本当にのんびりとしていました。
急に暇になって気が緩むせいか、年末年始はしょっちゅう風邪をひいて、違った意味の寝正月になることも多かったと記憶しています。こんな仕事の仕方で会社が回っていたのですから、いい時代だったのですね。

 

新たなビジネスとの出会い

当時の主力商品は、冬物のカレンダー・タオルと、夏物のうちわ・扇子、広告マッチなどでしたが、売り上げの8割以上は冬物が占めていました。大変偏った売上比率でしたが、私が入社する少し前あたりにギフトという新ジャンルが加わり、新たな事業展開をすることになります。ギフト品は季節性も若干ありますが、ほぼ一年を通して仕事になる、当時の我が社にとっては、実に有難いビジネスだったとおもいます。
当初は引き出物、入学内祝い、快気祝いなどの個人向けの返礼ギフトや、農協などの記念品が中心でした。そこからノベルティや景品など、現在主力となっているセールスプロモーション(SP)の世界に少しずつ移行し、現在に至ることになります。

祖父の三郎と愛犬ポコ。初夏のうちわシーズンで、口の開いている箱に名入れしたうちわが入っています

 

変革期

この新たなビジネスを始めることによって、会社は大きく変わっていきました。当時は高度成長期が終わった頃で日本経済は停滞期に入っていたよう言われていましたが、現在とは比較にならないほど景気は良かったように思います。お得意先様も年ごとに増えていって、新たな仕事が次々と入ってくるような状況でした。ギフト部門が順調で業績も良い方向に進んでいたのだろうと思います。
しかし、物事はそううまいことばかりではありません。好事魔多しということなのでしょうか、このころからカレンダー、タオルのお得意先が少しずつ減っていきます。当時の冬物のお客様は、酒屋さん、八百屋さん、魚屋さんなどの商店が大変多く、これらの業態がコンビニやスーパーマーケットに変わっていく時代でした。個人商店が主な得意先だったのが、すべて本部で取りまとめて仕入れや販促などを行うような仕組みに変わっていきます。現在では個人商店を見かけることも少なくなりました。
また、お得意先が多かった地方の中で、特に空知管内の人口減少が顕著になり始めたのもこの時期だったと思います。空知管内は石炭を主幹産業としている町が多く、エネルギーが石炭から石油に置き換わっていく時代の影響をもろに受けた地区でした。例えば夕張市はピークの昭和35年に11万人だった人口が昭和50年頃には約半分の5万人、現在では8000人を下回っているようです。この減り方が急激な時代の変化を物語っていますよね。
思い返せば、私が小、中学生だった頃は、空知や釧路方面からの転校生で、父親が炭鉱マンだったという家庭が、非常に多かった記憶があります。近年では炭鉱の町以外でも、人口減による過疎化がすごいスピードで進んでいます。この先人口が更に減り続けていったら、この国はどうなっていくのでしょうか…考えると不安になりますね。
このようにギフトやノベルティなど、新商材の売上が増えていきましたが、カレンダーなど従来からの主力商品が減り始め、世の中の仕組みも変わっていく、我社にとっても世の中にとっても大きな転換点でした。
次回はその後の仕事の移り変わり、バブル期のこと、ファミリービジネスなどについて書こうと思います。
多分? 1か月後に…頑張ります!